アクティブ多言語文化文化芸術歴史

初めて英語で会話したのは学生時代に行ったギリシアの船の上でした。

2022年4月5日

 学生時代に、ギリシア、イタリア、スイス、フランス、イギリスを巡る真夏の研修旅行に行った時のことです。

 初日、アテネから小型機に乗ってクレタ島へ飛んでクノッソス宮殿を見学し、まもなくエジプトであろう強烈な太陽の日射しに照らされたホテルのプールの水は、エーゲ海から引き込まれているにも関わらず、予想に反してとても冷たく感じたのが不思議でした。

 翌日、アテネに向かうクルーズ船に乗り、甲板から海を覗くと、透明度から鳥肌がたつほどのエメラルドグリーン。夜になると町の灯はなく、空は文字通りのミルキーウエイ。現地でとれた皮ごと食べる葡萄をほおばり、ギリシア神話に思いを馳せるのでした。

 夜も更けてきたので、船内に戻り、たくさんの椅子とテーブルのあるパブリックスペースで、大勢の仲間とくつろぐことにしました。

 しかし船内は、強烈で独特の匂いのするタバコと、松ヤニの入ったらウーゾという酒の香りが混じり合い、静かな海なのに、酔ってしまいそうでした。

 そんななか、数人のギリシア人の学生と、我々の仲間が打ち解けて、互いに第2言語である英語を使って話し始めていました。日本の学校について問われた時、私は一生懸命に、その仕組みを相手に説明しました。相手側も一生懸命聞き取ろうとしてくれてました。

 やっと、私のつたない英語も通じたかなと思った時、ギリシア人の女の子が私に英語で言いました。「English please」

 そんなポンコツの私もコロナ前には、7言語(英仏中伊独韓西)を年間で計450レッスン受けるようになっていました。

ミネルヴァの梟がいま飛び立つ