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理性と本能と正義感 

 人間の「理性」は、前頭葉の発達によって、ある意味暴走しているという種類の論評を読んだことがあります。ここでいう理性とは、本能的な感情をコントロールする力を指しています。

 ソクラテスを生み出したギリシア哲学が、いかに人間は優れていて動物と違うかを論じる時、動物はひたすら本能に従うけれど、人間はそれを理性によって制御する力を持つ特別な存在であり、それがいかに素晴らしいことかを強調してきました。こうした流れが西洋哲学の基本となっています。

 理性のよりどころについて、古代のギリシア人は、直感的なイメージと思索を行き来することで観念的に説明していますが、実験や数値化して証明することを重視していないので、これを「科学」とは呼ばず、「自然哲学」と呼びます。その代表的なものがソクラテスの弟子であるプラトンの「イデア論」です。これに関しては別の機会に説明することにします。

 人は理性を持ち、モラルを守ろうとします。それを突き詰め守ろうとする心が「正義感」ではないでしょうか。

 過去に生まれた多くの宗教の中に、必ずと言って良いほど、そうした正義を実現することがいかに尊いかが、語られていることは言うまでもありません。

 また多くの学者が指摘する通り、その宗教が生まれた環境や社会構造など様々な状況とともに、その発生時に求められた価値観や生活の知恵が盛り込まれています。

 例えば食に関するタブーで有名な豚は、人間と同じ病気をもつ感染源の一つであり、家畜の血液には人間にとって危険な病原体が含まれていることは現代医学でも証明されています。

 しかし歴史的に言うなら、それらが文字化される時までに、社会的な支配層や統治者にとって、より都合の良い解釈や加筆がなされてきたとも言われます。

 現代において必ずといって良いほど突き当たる宗教上の問題で、男尊女卑や性モラルなどに対する不動とも言える価値観の論争が生まれるのは、それが原因の代表例ではないでしょうか。

 また、恐れや未熟または間違った知識から生まれたタブーもあると言われています。例えば、死と穢れが結びついたり、女性の生理と不浄が結びついたりしていることなどです。

 さて、「宗教は怖い」という意見を聞くことがあります。

 カルト的ともとれる社会的に深刻となっている問題、凄惨な出来事、衝撃的なテロリストの行動、千年前に戻ったのではないかと耳を疑う法律の逆行、文化遺産の破壊、宗教がもとになる戦争などの報道に触れるにつれ、そうした感情が生まれてくるのでしょう。

 ここで鍵となる言葉があります。それは「正義感」です。厄介なことにこの言葉は大抵、「是か非か」、「オールオアナッシング」という感覚が付きまとい、折衷案は「妥協」であり、「堕落」であり、「悪」と解釈されがちです。

 特に宗教や哲学は、言葉や理屈で十分には説明できないところに、独特でしかも絶対的な強さを持つので、これを「正義」のよりどころにすると、より厄介なことになりがちなのです。

 歴史的な出来事で言うなら、大抵はその時の社会構造や既得権益を持つものによって、保身や利益によって強引に進められ、賛同か否かに関わらず、多くの人々が巻き込まれることが常ですし、こうした価値観を壊そうとする革命思想もまた同じで、どれだけ多くの血が流されてきたことでしょう。戦争においても同様です。

 ここで、冒頭に触れた「理性」と「本能」の話に戻ります。

 近年の考え方として、「本能」をポジティブに捉える考え方があります。「動物としての本能」には、「生存競争」の本能とともに「協調」の本能があり、自他における「種族保存」の本能があるということが着目されています。時にイレギュラーはあるとしても、基本的には、必要以上に相手を全滅させる事はなく、自分たちを全滅させる事はなく、「共存」を選ぶというものですが、唯一それを無視する事が出来るのが人間なのです。

 1962年の「キューバ危機」を扱ったNHKのドキュメンタリーの中に、ケネディが作った原稿が紹介されていました。何とその内容は「彼が核のボタンを押すことを決めたこと。それにともなって連鎖的に起きる世界規模の核戦争とそれに伴う人類滅亡レベルの悲惨な状況。これは正義を全うするために必要だったこと。幸運を祈ること。」などの内容が盛り込まれていました。

 私は溢れ出る涙を止めることができませんでした。もちろん、幾つかの偶然と奇跡と努力により危機は回避され、この原稿は使われず、我々もこうして生きています。

 こんなことができるのは、自然の摂理さえ無視することが出来る前頭葉を備えた人類だけなのです。

 おそらく、人間以外の生き物に、我々のような「理性」や「正義感」などありません。しかし「地球レベルの共存」のための「本能」が、意識せずとも内在していて、人間こそがそれを見直す時代になっているのでしょう。

ミネルヴァの梟がいま飛び立つ