呟き多言語文化芸術歴史

言葉こそがオシャレのアイテム

 国語学者の金田一春彦先生のおっしゃる通り「言葉の変化は必然」と前置きした上で、昭和生まれの私としては、最近特に違和感を覚える言葉使いがあります。例をあげるなら「おられる」「爪痕を残す」「幼少の頃」の使い方です。

 「おられる」に関しては以前にもブログに掲載しましたが、本来関東では違和感のある使い方で、国語の時間や参考書や問題集でも徹底して「いらっしゃる」を標準語として使うように矯正されたものです。しかし、私の記憶では、特に安倍首相を中心として政界が連呼するようになると、アナウンサーまでもが使うようになり、今ではこれが標準化しています。

 「爪痕を残す」は、お笑い芸人の寺門ジモンが番組で使って以来、そのインパクトと面白さから、芸能人に広まり、今では民放のアナウンサーまで使うようになっていますが、本来は「台風の爪痕」のようなネガティブな表現です。

 「幼少の頃」という表現は、通常インタビューなどで、他人によって使われる敬語のようなもので、自分に対してはへりくだって「幼い頃」とか「こどもの頃」という表現が相応しいはずなのですが、ギャグのつもりではなく何のためらいもなく、この言葉を使うようになってきています。

 私が思うに、言葉遣いに関する知識や使い方に自信のない芸能人たちが、テレビを観て、ある意味謙虚に、それを取り入れて、正しい使い方を真似しているつもりで話し、さらにそれを観ている芸能人がまた真似をして話すという連鎖が生まれているような気がします。

 子供の頃から能の世界に触れてきた私は、美しい日本語の響きが好きです。しっかり使えているかと聞かれると、これまた自信がなく情け無い限りですが、私にとって、外見よりも言葉こそがオシャレのアイテムと思い、少なくとも下品ではない、知性と優しさを持ち合わせた話し方を心がけています。

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