何故、私はCafetalkの講師なのか。ストアカとどう違うのか。
先日偶然参加したサークルで、ストアカ(有名オンラインレッスンの会社)のカリスマ講師と話をする機会がありました。話を伺っている時、漠然と私の口から出てきたのは「私はCafetalk向き」と言う言葉でした。その後、そう答えた私は自問自答しました。「何故?」
ストアカの仕組の特徴は、講師が自分の都合に合わせて、開講するテーマとそれを実施する時間枠を日本国内の生徒さんに提示して、オンライン上で複数又は個人の希望者を募る方法で、オンラインだけでなく、場所を指定してレッスンをする方法がメインです。言ってみればオンライン上で個人塾を開くイメージです。
これに対してCafetalkは、開講するテーマとレッスン可能時間を世界に点在する日本人のみならず多国籍の生徒さんに対して提示し、生徒さん側が自分の希望する時間でそれをリクエストする方法がメインです。言ってみればオンライン上で家庭教師をするイメージです。
私は長年、私立高校で勤務してきました。その中で培ったスキルは沢山のジャンルをまたいでいます。(詳しくは、以前にupしたコラム「マルチなスーパースキルを身につけるには」をご覧ください。)
その中で、磨いた能力は何といっても即興力です。受け取る側の印象は様々でしょうし、とかく教師は一方的に講義を進めているイメージがあると思いますが、教師側は、生徒一人一人がどんな事に興味を持っているかを、TVやネットなどでリサーチしつつ、それぞれのリアクションによって、瞬時に説明の仕方を軌道修正していきます。
通常、生徒は興味があるからではなく、卒業のためのノルマで授業に参加します。性格も興味も理解力も違い、積極的に質問や発表する者から、無表情で黙々とノートをとる者、中には睡眠学習に専念する者までいます。
そんな環境の中、如何に理解してもらい定着させていくかが勝負で、お笑い芸人のように、授業というステージが終わり職員室に戻ってきた教師が、どれだけ反省し落ち込んでいるか、知る由もないでしょう。
また厄介なことに学校の教師は、授業の内外を問わず、風紀指導、生活全般や進路に関するカウンセリングもしながら、必ずしも得意とは限らない任命された部活指導もしなくてはならず、保護者との面談も控えています。準備しているいないに関わらず、求められたら、誠意を持ってそれに答えるというのが学校教師の日常です。
まさにそれはCafetalkの講師が実践していることなのではないでしょうか。手前味噌で思い上がりも甚だしいと思われるのを恐れずに言うならば、教師として長年の実践と経験により、特に私の引き出しは、歴史文化芸術、心理カウンセリング、ICT(電子機器、pc)、古典芸能など多面的で深い知識や教材がすでに頭の中だけでなく、データ化、電子化がされていて、リクエストが来るたび、瞬時に対応出来るようになっています。より生徒さん個々人に柔軟に対応しながらレッスンを進めるということを最大限可能にするのは、まさにこのシステムに他なりません。
だから、私はCafetalkの講師向きだと言えるのです。