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能の魅力と鑑賞の仕方(その1)

 歌舞伎は主に一般大衆に分かりやすく見せるのが基本なので、どちらかというと日常の人間の動作に反した動きが多いのですが、能の場合、理にかなった動きが中心です。決して内股でも外股でも歩きませんし、首や体を大袈裟に捻ることもありません。顔の表情もデフォルメもしませんし、裏声も使いません。またお化粧もしません。

 歌舞伎は暗い芝居小屋で発展したので、何事も大袈裟に強調しなければならなかったのですが、能は本来野外で演じられたものなので、その必要はありませんでした。また能の姿勢の重心は均等で、武士の世界で育ったので、動きや姿勢に武道の要素がたくさんあります。

 能は、時に、大自然の呼吸にシンクロさせるので、とてもスピリチュアルな芸能ですが、鑑賞の仕方において初心者は次の順番で鑑賞能力を高めるのがよいでしょう。

 ①頭で理解しようとしないで雰囲気を鑑賞…現代人は何かと、頭で理解出来ないものはあっちゃいけないと洗脳されています。しかし陸上競技を観て力の動きや移動をみて興奮を覚えるのと同じように、五感を使って感じれば良いのです。

 ②予備知識を持ち寄って、筋書きや雰囲気を感じる。

 ③深く筋書きを読みとり、さらに深く動きを読み取る。

 ④実は上述の①が完成形です。

 私は、3歳の時から能のお稽古を始め、数えきれないほどにそれを鑑賞してきました。具体的に筋書きを知ったり、動きの意味を知ったりしたのは、随分大人になってからでしたが、子供でありながらも、十分楽しみ、興奮してきたという自負があります。それは、頭ではなく、五感を使って感じとろうとしてきた結果なのでしょう。

 能はスピリチュアルな芸能で、演じる側も観る側も、身体と心を同期させることで、大きな体験や経験や感動を共有するのですが、本来、生き物として、人として、日本人として、内に眠っているものを呼び覚まし、整えることのできる芸能でもあります。

 言い換えるなら、本当の理解とは、必ずしも頭でするものでなく、身体や呼吸や五感によって得られるものなのです。親鸞聖人が言っているように、「頭ではわかっちゃいるけど、やめられない」とは、理解という性質を上手く言い当てていると思います。身体が会得することが理解すること、仏教では、それを「悟り」というのです。

ミネルヴァの梟がいま飛び立つ